優生保護法の不妊手術を受けた方へ

愛知県一宮市の鈴木泉法律事務所の原です。

優生保護法に関する愛知の弁護団に加入し、訴訟や一時金申請等、被害者救済の活動に取り組んでいます。

 

優生保護法は、特定の疾病や障がいのある方に対し、同意を得て、あるいは強制的に不妊手術を施すことができると定めた法律です。

1948年から1996年まで存在し、多くの方が不妊手術を受けました。

2018年に優生手術の被害者から訴訟提起がなされ、2019年に国が被害者に対して320万円の一時金を支払う旨の法律ができました。

被害者に対しては、国等から特別な通知がなく、ご自身で申請をしなければなりません。

優生保護法の弁護団でも、一時金の申請を扱っています。

手術の記録や、手術痕が消えてしまっていても、一時金が認められた例もあります。

手術を受けたという方は、私宛にご連絡ください。

相談料は、無料とします。

事務所でのご相談が難しい場合は、相談場所も配慮いたします。

連絡先はこちらです。

(聴覚に障がいのある方は、こちらもご覧ください。)

 

優生保護法については、こちらもご覧ください。

 

優生保護法について

愛知県一宮市の鈴木泉法律事務所の原です。

優生保護法に関する愛知の弁護団に加入し、訴訟や一時金申請等、被害者救済の活動に取り組んでいます。

 

優生保護法とは

優生保護法は、1948年に制定された法律です。

法律で定められた者(以下、「障がい者等」といいます。)に対し、同意を得て、あるいは強制的に中絶手術や不妊手術を施すことができると定めた法律です。

1996年に法律は改正されましたが、強制手術を受けた被害者の救済はなされてきませんでした。

そのため、2018年以降、各地で訴訟が起き、2024年7月3日に被害者勝訴の最高裁判決が出されました。

 

優生思想とは

優生保護法が制定された背景には、優生思想という考え方がありました。

優生思想とは、優れた人間の遺伝子同士を掛け合わせることで、科学的に人類の進歩を促すことができるという考え方です。

国は、障がい者等を「劣った遺伝子」と決めつけ、「劣った遺伝子」を排除することにしたのです。

そして、国は、学校で優生思想の授業を行う等、国民に優生思想を定着させるための努力をしてきました。

また、手術のために病院に連れ出すに際しては、対象者の身体の拘束、麻酔薬施用、欺罔等を用いることも許されるとの通知を出し、積極的に手術を推し進めてきました。

手術そのものやそのあり方が重大な人権侵害であることは勿論ですし、障がい者等に対し、国として「劣った遺伝子」との烙印を押すことが、障がい者に対する重大な差別であることは言うまでもありません。

 

訴訟

被害者にとっては、とても繊細で、辛い思い出です。

手術は、夫婦を離婚に追い込むこともありました。

当時の差別的な社会状況もあり、被害者は、戦うことが困難でした。

その結果、被害者たちは、約50年の間、被害について沈黙を貫いてきました。

そんな中、2018年、優生保護法被害の最初の裁判が起きました。

その後、各地で訴訟が相次ぎ、2022年、愛知でも優生保護法被害の訴訟が提起されました。

優生保護法が憲法に違反する許されない法であることは明らかでした。

しかし、民法には、被害から20年で権利が消滅するという定め(除斥期間といいます。)があります。

裁判の争点は、この除斥期間によって被害者の訴えが退けられてしまうのかどうかでした。

裁判所によって判断が分かれていましたが、2024年7月3日、最高裁判所は、除斥期間を理由に権利が消滅したものとして国が責任を免れることは、著しく正義・公平に反し、到底容認することができないと述べ、国が責任を負うことが明らかとなりました。

愛知訴訟は、名古屋地方裁判所で勝訴し、現在、名古屋高等裁判所に係属中です。

 

一時金支給法

国は、2018年の最初の訴訟が提起された後、優生保護法の被害者(不妊手術を受けた者に限ります。)に対し、一時金320万円を支払う旨の法律を制定しました。

愛知県でも、一時金の申請をして、一時金を受け取っている被害者がいます。

愛知弁護団でも一時金の申請を扱っております。

私も含め、弁護団員は、全員が一時金の申請業務を経験しております。

手術痕が消えてしまっていても、一時金が認められた例もあります。

手術を受けたという方は、私宛にご連絡ください。

こちらのページもご覧ください。

 

今後について

一時金を受け取った被害者もいますが、一時金はその被害に比べて低額です。

今後、国は、被害者に対して、より充実した補償を行うための法律を制定すると思われます。

新たな法律ができた際には、これに基づく補償の申請も協力していきたいと考えています。

勿論、新たな法律を待つことなく、一時金の申請や、訴訟提起をすることも可能です。

一時金を受け取ったから、訴訟提起できなくなるということはありません。

遠慮なく、ご相談ください。

 

一刻も早く、被害者に対する十分な補償がなされることを期待します。

歩行に障害のある方へ

愛知県一宮市の鈴木泉法律事務所の原です。

当事務所は、1階が駐車場になっており、相談室は2階と3階になります。

階段の上り下りが困難な方は、ご予約の際に、その旨お申し出ください。

近隣施設における相談を検討いたします。

聞こえに障害のある方へ

愛知県一宮市の鈴木泉法律事務所の原です。

当事務所は、相談をご希望の方は、お電話で相談予約を承っております。

 

お電話では障害のある方は、以下の予約フォームから相談を申し込みください

https://www.suzuki-izumi.com/contact/

その際、電話番号欄に、「00000000000」(10桁または11桁)とご記入ください。

 

1 手話を使う方へ

 予約フォームから相談申し込み後に、手話通訳人についてご相談させていただきます。

 手話通訳人の派遣申請と、通訳費用のご負担を、相談にお越しになる方にお願いできる場合は、相談料は無料といたします。

 公費派遣の場合も、相談料は無料です。

 弁護士の原が、多少の手話の勉強をしておりますが、表現においても読み取りにおいても不十分ですので、手話通訳人のご同行をお願いいたします。

※現在、障害者差別解消法の制定、改正により、市町村によっては公費派遣が拒否される例があるようです。

 相談をしたいけれど派遣を拒否された、という場合は、予約フォームからご連絡いただいた後、手話通訳人に関するご相談の際に、その旨ご連絡ください。

 対応を検討いたします。

 

2 手話を使わない方へ

 パソコンを用いた筆談による相談を行っています。

 相談料は、30分から60分で5500円です。

 一部、初回無料の相談もあります。

 

鈴木泉法律事務所のホームページを新しくリニューアルしました。

ホームページをリニューアルしました。今後も定期的に様々な情報を更新してまいりますので、是非ご覧ください。

名張毒ぶどう酒事件について

事件の概要は後記

奥西勝さん 無念の獄中死

名張事件の再審請求人奥西勝さんは、事件発生(1961年3月)から実に54年余もの間、自己の無実を叫び続けてきましたが、2015年10月4日、雪冤(せつえん)の願いむなしく89歳の生涯を終えました。まさに半世紀を越えたえん罪との闘いでした。

第10次再審請求 ― 妹・岡美代子さんによる死後再審請求

奥西さん死亡当時第9次の再審請求事件の審理中でしたが、奥西さんの死亡により事件を終了するとの決定が出されました。奥西さんの無実を信じてそれまで熱心に支援を続けてきた妹・岡美代子さんは、同年11月、奥西勝さんの名誉回復のため死後再審の請求をしました。

えん罪を証明する新証拠

第10次再審請求で弁護団が提出した主な新証拠は、本件ぶどう酒瓶の外蓋の耳を覆うように巻かれていた封かん紙(写真参照)の裏面に製造段階で使われた糊とは違う糊が着いていることを明らかにした糊鑑定です。

弁護団は、証拠物として保存されている封かん紙の裏面(糊が塗られた面)に着いている糊の分析を澤渡千枝教授に依頼しました。その結果、裏面には製造段階で使われたCMC糊に重ねてPVA糊が塗られていたことが明らかになりました。この事実は、奥西さんが公民館にぶどう酒を届ける前に、何者かが封かん紙を破って栓を開け毒を入れた後、PVA糊を使って封かん紙を貼り直すという偽装工作をしたことを推認させる重大な事実です。弁護団は、澤渡教授による鑑定書(糊鑑定)等の新証拠により、奥西さんの犯行とした確定死刑判決に合理的な疑いがあるとして再審開始を求めました。

最高裁決定 ― 5人の1人は「再審開始」

しかし最高裁は2024年1月澤渡鑑定等糊鑑定の新証拠に信用性はないとして、再審請求を棄却する決定を下しました。これは科学に素人の裁判官が科学の専門家による鑑定を否定するという反科学的決定です。
ただし、この決定には裁判官5人の1人である宇賀克也裁判官の「再審開始すべきだ」という反対意見が付いています。宇賀裁判官は糊鑑定に高い信用性を認め、新旧全証拠を総合評価すれば、確定死刑判決に合理的な疑いが生じているとの判断を示しました。宇賀意見は「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に忠実な判断です。

第11次再審で必ずえん罪を晴らす‼

弁護団は直ちに第11次再審の準備を始めました。 引き続き、皆さまの厚いご支援をお願いします。


2024年7月記す
弁護士 鈴木 泉(名張毒ぶどう酒弁護団団長)

事件の概要

1961年3月28日、三重県名張市葛尾地区の公民館で開かれた懇親会で、奥西勝さんの妻と愛人らぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状で入院した。連日長時間に及ぶ取調べの結果、奥西さんは、妻と愛人との三角関係を清算するため、公民館に自ら運んだぶどう酒瓶の蓋を開け、持参した農薬ニッカリンTを混入したと自白したが、起訴後全面否認に転じた。
津地裁は64年12月、無罪判決、名古屋高裁は69年9月、逆転の死刑判決。最高裁が上告棄却、死刑判決が確定した。確定判決は、人目につかず農薬を混入する機会は、奥西さんが公民館に1人でいた10分間以外にないと認定した。
再審段階に入って弁護団は、毒物はニッカリンTとは違う農薬であり、封かん紙を破らずに開栓できるため、奥西さんがぶどう酒を公民館に運ぶ前に何者かによって毒物が混入されたと主張。第7次再審で名古屋高裁は、再審開始決定を出したが、高裁の別の部が取り消した。