事件の概要は後記
奥西勝さん 無念の獄中死
名張事件の再審請求人奥西勝さんは、事件発生(1961年3月)から実に54年余もの間、自己の無実を叫び続けてきましたが、2015年10月4日、雪冤(せつえん)の願いむなしく89歳の生涯を終えました。まさに半世紀を越えたえん罪との闘いでした。
第10次再審請求 ― 妹・岡美代子さんによる死後再審請求
奥西さん死亡当時第9次の再審請求事件の審理中でしたが、奥西さんの死亡により事件を終了するとの決定が出されました。奥西さんの無実を信じてそれまで熱心に支援を続けてきた妹・岡美代子さんは、同年11月、奥西勝さんの名誉回復のため死後再審の請求をしました。
えん罪を証明する新証拠
第10次再審請求で弁護団が提出した主な新証拠は、本件ぶどう酒瓶の外蓋の耳を覆うように巻かれていた封かん紙(写真参照)の裏面に製造段階で使われた糊とは違う糊が着いていることを明らかにした糊鑑定です。
弁護団は、証拠物として保存されている封かん紙の裏面(糊が塗られた面)に着いている糊の分析を澤渡千枝教授に依頼しました。その結果、裏面には製造段階で使われたCMC糊に重ねてPVA糊が塗られていたことが明らかになりました。この事実は、奥西さんが公民館にぶどう酒を届ける前に、何者かが封かん紙を破って栓を開け毒を入れた後、PVA糊を使って封かん紙を貼り直すという偽装工作をしたことを推認させる重大な事実です。弁護団は、澤渡教授による鑑定書(糊鑑定)等の新証拠により、奥西さんの犯行とした確定死刑判決に合理的な疑いがあるとして再審開始を求めました。
最高裁決定 ― 5人の1人は「再審開始」
しかし最高裁は2024年1月澤渡鑑定等糊鑑定の新証拠に信用性はないとして、再審請求を棄却する決定を下しました。これは科学に素人の裁判官が科学の専門家による鑑定を否定するという反科学的決定です。
ただし、この決定には裁判官5人の1人である宇賀克也裁判官の「再審開始すべきだ」という反対意見が付いています。宇賀裁判官は糊鑑定に高い信用性を認め、新旧全証拠を総合評価すれば、確定死刑判決に合理的な疑いが生じているとの判断を示しました。宇賀意見は「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に忠実な判断です。
第11次再審で必ずえん罪を晴らす‼
弁護団は直ちに第11次再審の準備を始めました。
引き続き、皆さまの厚いご支援をお願いします。
2024年7月記す
弁護士 鈴木 泉(名張毒ぶどう酒弁護団団長)
事件の概要
1961年3月28日、三重県名張市葛尾地区の公民館で開かれた懇親会で、奥西勝さんの妻と愛人らぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状で入院した。連日長時間に及ぶ取調べの結果、奥西さんは、妻と愛人との三角関係を清算するため、公民館に自ら運んだぶどう酒瓶の蓋を開け、持参した農薬ニッカリンTを混入したと自白したが、起訴後全面否認に転じた。
津地裁は64年12月、無罪判決、名古屋高裁は69年9月、逆転の死刑判決。最高裁が上告棄却、死刑判決が確定した。確定判決は、人目につかず農薬を混入する機会は、奥西さんが公民館に1人でいた10分間以外にないと認定した。
再審段階に入って弁護団は、毒物はニッカリンTとは違う農薬であり、封かん紙を破らずに開栓できるため、奥西さんがぶどう酒を公民館に運ぶ前に何者かによって毒物が混入されたと主張。第7次再審で名古屋高裁は、再審開始決定を出したが、高裁の別の部が取り消した。